「ゆるい」とは?

(2015年7月18日)


~告知~

カフェ・ティグレ
カフェ・ティグレ

■ 日 時: 2015年7月18日(土) 10:00~11:30

場 所: カフェティグレ伏見店

    (名古屋市中区錦1丁目10-11、ユーキホテル1階)

     地下鉄「伏見駅」10番出口より徒歩1分

テーマ: 「ゆるい」とは?

進 行: 井下賢一

参加費: 飲食代実費(390円~)

定 員: 15名

申 込: 不要 (ですが、なるべく事前にご予約ください。定員に達し次第、申込みを締切ります。)

問合せ/申込先:staff.nagoya*cafephilo.jp (*を@に要変換)

 

備考: 

① 100円程度のご寄付をお願いしています。(強制ではありません。詳しくはこちらを)

② 写真撮影と対話の録音をさせて頂いております。NGの方はお申し出ください。

 

《ご案内》

ゆるキャラ、ゆるカワ、ゆるふわ、などと近頃は良いイメージで使われることの多い

「ゆるい」。人々のつながりでも「ゆるい」ことが肯定的に受け入れられているよう

です。それはなぜなのでしょう。そしてそもそも「ゆるい」とはどういうことなので

しょうか。みなさまとともに考えていきたいと思います。
初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

《お願い》

  1. よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、下記フォーラムにお書き込みください。匿名にして、当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。
  2. カフェ参加者によるレビューを募集しています。応募いただいたレビューは次回参加者に配布するほか、本HP上(下記フォーラム)やカフェフィロブログに掲載させていただくことがあります。詳しくは上記お問合せ先までお尋ねください。

~記録~

Twitter速報

facebook報告


~フォーラム~

以下の掲示板は次のようにご利用ください。

 

《開催前》

よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、こちらにお書き込みください。匿名にして当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。

 

《開催後》

カフェの最中に言い足りなかったこと、言い損ねたこと、カフェが終わった後から思ったこと、など。もしありましたら、気楽にお書き込み下さい。

 

下記に コメント:n となっていれば、現在n個のコメントがある、という意味です。たくさんある場合、コメントは投稿順に並んでおり、入力欄はコメントの一番下にあります。(下記「コメントをお書きください」リンクで飛べます。)

また、投稿するには「名前」記入が必須となっていますが、これは本名である必要はありません。

コメント: 6 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    BABYMETAL (水曜日, 01 7月 2015 03:15)

    「ゆるい」と言えば、「オカザえもん」のような「ゆるキャラ」に代表されるように、昔は「マイナス」イメージの用例が「プラス」イメージの用例となるなど価値転換があった概念であると思われる。その積極的意味に便乗したいと思います。そこで「定義」に入る前の準備運動として、いろいろ小ネタのような問いを拡散させます。
    (1)「ゆるい(緩い)」の悪さ・短所のイメージには何があるか?
    ①緊張感が薄く不真面目になりがちで失敗が多い②取り締まりが少ないか、いい加減なため規則違反が多い③危機管理不足になり、医療事故、原発事故、食中毒などの重大事故の原因となる④監視や管理が行き届かず「逸脱」が増え、品質管理ができない⑤秩序を作ることが出来ず不安定となり不法行為を助長する⑥几帳面でないため「遅刻」「手続きミス」「記録ミス」「点検不足」などが増える⑦軟弱、難破な「草食男子」でひ弱である。やはり男子は「強くなくては生きられないが、優しくなくては生きる意味が無い」ハードボイルドでないといけない。
    (2)「ゆるい」にはどんな良いところ、長所があるか、プラスのイメージは何か。
    ①神経質でないため自他ともに精神衛生上良い②緊張感がないためリラックスできる③注意や怒られることがなく争い/対立/喧嘩が起きない④一つにまとめようとしないので、社会的弱者や少数者にとっては寛容な社会であり、存在する居場所があり安全で居心地がよい⑤「緩衝剤/鑑賞地域」という言葉ばあるが、衝突や対立によって戦争や大事故の発生を防止する⑥「遊び」があることで、余裕が生まれ、芸術活動など創造性が生まれる⑦ともかく「楽」であり心身が緊張しない弛緩は人間性の回復につながる⑦モノの見方や考え方が融通無碍で、物事を善悪/白黒の二項対立的な狭い視点から広げることができる⑧「遅い(スロー)」ことなど時間の制約に縛られず、自然な暮らし環境によい暮らしができる⑨「固定観念」から脱却できる。縦割りの構造や水と油のようなジャンルを結びつける。「ヘビーメタル」と「アイドル」が融合したBABYMETALのようなカワイイメタルような新しいジャンルがや試行錯誤や実験が可能となる。
    (3)なぜ「ルーズソックス」は流行ったのか
    (4)腰からズボンをわざとずらしてお尻を見せる半ケツは好きか嫌いか。その理由は。
    (5)緩いの基準は何か?時代、国、文化、個人差などの違いはどのようにあるか。
    (6)反対語、類義語は何か
    (7)ゆるいファッション、ゆるい音楽、ゆるい暮らし、ゆるいカルチャーなど、「ゆるい」を形容詞にしたらどのような価値や意味が付加されるのか
    (8)ゆるキャラ三箇条には「動きが不安定でユニーク」がある。ゆるいこととどう関係があるのか
    (9)ゆるキャラ三箇条には「あいすべき、ゆるさがある」である。なぜゆるきゃらは愛されるのか?
    (10)「緩い」は、誰が、どのような視点、基準で、何を、何と比べて、どのような意図や目的で評価づけているのか

  • #2

    高橋 (金曜日, 03 7月 2015 22:43)

    「ゆるい」とは?
    ネットで検索されるための優秀な「キーワード」である
    あるいは世間で話題となるための競争で生き残った「タグ」
    それらは中身と名前にギャップがあることで
    存在感を保っているかと思われます
    ゆるキャラの母体は硬いイメージの組織が多い
    ゆるカワとゆるふわは従来のファッションが一部の隙もなく
    完成度を上げる事に対してゆるいくてもかわいいと
    いうようなことが始まりのような気はしますが・・・
    こちらについては身の危険を感じるのでここまでに
    男性の私には発言のハードルが高い話題です

    無限に近い情報が流れていく状態で
    世間が目を留めてくれ
    なおかつ寿命の長いキーワードは少ないのに
    「ゆるい」という言葉は中身をリニューアルしながら
    その地位を保っているのは凄いと思います

  • #3

    BABYMETAL (土曜日, 04 7月 2015 04:51)

    「ゆるい」を積極的に評価した後なので、少しどっちつかずの評価をしているところを書きます。
    「ゆるい」ことを「のんびり」「奇をてらわず」「自分らしさ」とか言ったような、レールを敷かれた生き方から少し外れながら、非管理的な生き方をすることを表現していると感じることがあります。ほとんど私は聴いたことがないのに、そのイメージだけはある「ユニコーン」さんとか奥田民生さんとかパフュームさんとかに対してです。
    男性のシンガーで「すすめなまけもの」という歌詞がある歌もそんな感じです。

    その影響なのかどうか解りませんが、人が大勢あつまって話しをする「ワークショップ」とか「ミーティング」とか集会などで見聞きするようになったのが、「ゆるくやりましょう」とか言って場を和ます発言です。「ガードを外してリラックスしましょう」程度のことなのかもしれません。
    一つは、あるタイプの方々は左右どちらであれマルクス主義であれ国家主義であれ、特定の思想信条の体系から語り出し、相手を論破するスタイルで熱く語り最後は相手を罵倒するということへの嫌悪感、不快感、面倒感から、それを回避予防したいということかもしれません。
    また、参加者同士の発言や行動によって傷つけたり、傷つけられたりすることが嫌なので、真剣に語り合いはしたいけれど、対立や紛争を生みたくないという意味があるのかもしれません。

    仮説に仮説を立て続けると訳が解らなくなるのは承知していますが、お許しを。

    「ゆるい哲学」「ゆるい哲学対話」「ゆるい論理/思考」「ゆるい哲学カフェ」を考えてみたいのです。その可能性は豊かすが、最後の「ゆるい哲学カフェ」について。

    「口角泡を飛ばす」固い論争スタイル、「〇〇〇(哲学者の名前)における△△の概念について」とか知識や文献読解の訓練でも受けないとついていけないゼミや学会の発表論文など頭が固いアカデミックな哲学から、みんなのものとしての哲学へと哲学をゆるくしていくものの一つが「哲学カフェ」ではなかったかと思います。
    では、どこまで緩くしていいのだろうか?また「緩くする」方向性というか何をゆるくしていくことが大切なのか、という疑問が出てきます。

    世の中には「哲学カフェ」を自称しながら、「知的なおしゃべり」「おしゃれな社交の場」として、問いをたてて深く考えたり、相手の主張の矛盾を突いたり、前提を問うたりしない哲学カフェがあります。例によって「ゆるくしましょう」という言葉が出たりもする。他人からどう観られているか、その発言でどう評価されるか、その発言で他人を傷つけ自分も深いならないか、「空気を読む哲学カフェ」が実際にある。
    「ゆるく」と言いながら、気を遣っているので緩くはないのだが。
    「ゆるい」と言いながら、
    かたや、安心・安全を保証しながら、本心をさらけだすベタな哲学カフェがあり
    かたや、健康的で明るい老若男女が集まりながら、一線を越えないように気遣い不完全年少な哲学カフェがある。
    緩いの意味はプラス・マイナスというざっくり分けてよいだけでなく、
    プラスの意味で使うときでさえ、解放的なものと表面的なものとがあるような気もしなくもない。善意なんだけどブレイクスルーしていうようなしていないような。
    このもどかしさは説明し難いのだが、どなたかフォローしてくれると嬉しい。
    関心なければスルーしてもらって、他の論点を出してください。

  • #4

    鞠水 (土曜日, 04 7月 2015 22:32)

    ゆるキャラの存在は不思議です
    デザインの事はよく判りませんが
    裏側の事情も少し考えてみます
    まずデザインはふざけているように見える
    ふざけているように見えるようにデザインされているのか
    その区別は難しい
    でもその周囲は真剣に取り組む人に固められている(はず)
    ふざけたように見えることに対して
    実際に責任を負う人が影に存在していて
    立っている土台はまじめな組織が多い

    ゆるい存在に見えるために
    どれだけの時間と労力が投入されているのか

    「ゆるい哲学カフェ」が存在するとするならば
    その「ゆるい」雰囲気を守るために
    相応なエネルギーが投入されなければ
    その場は「ゆるい」空気は醸し出されず
    参加する人も「ゆるい」とは
    感じないではないでしょうか。

  • #5

    鞠水 (月曜日, 06 7月 2015 12:35)

    なにかを進める上で「まじめにやれ」という言葉は
    非常に効果的に相手の行為を否定するものであり
    その発言を好む人を想像するだけで
    空気がしらけていくようすが浮かんできます
    しかし「ゆるい」と認知された存在に対しては
    「まじめ」にと言った人が野暮となる
    正義とも言えるような強力な言葉である
    「まじめに」を封じれる有効なカウンターではないかと
    こうあるべきであるという「まじめ」な思考停止は
    組織内での処世術としての有効性を考えれば
    あまりに便利で手軽なので避ける事は困難です
    それに対して
    世間に認知された「ゆるい」存在に対して
    まじめに考えてまじめなまま道を譲ってもらえる
    新しい?アプローチ方法が「ゆるい」ではないのでしょうか

  • #6

    哲-METAL (金曜日, 24 7月 2015 10:29)

    「全国ゆるカフェ会」と「ゆるカフェ会」を商標登録している会があるらしい。「少人数でカフェ等に集まり、”ゆるコミュニケーション”をコンセプトにお茶と会話を楽しむ交流会」としている。ビジネスの人脈拡大、友達づくり、地域活性化、カフェでのコミュニティづくりなどに活用をして欲しいとしている。地域名を名称にするのがルールの一つで、名称を見た限りは東京など関東中心のようだ。
    哲学カフェは一線を画する文化運動になるや否や。井戸端会議ではない何かとは何か、哲学カフェのゆるさとは何かも考えてみたい。