名前とはなんだろう(2015年6月7日)

~告知~

カフェぶーれ
カフェぶーれ

■ 日 時: 2015年6月7日(日) 11:15~13:155

場 所: 名古屋駅西 カフェぶーれ

     (名古屋市中村区椿町6-27 ホテル ル・ウエスト1階)

     名古屋駅新幹線口から西へ徒歩2分

テーマ: 名前とはなんだろう

進 行: 佐藤啓介(南山大学)

参加費: 飲食代実費(300円~)

定 員: 12名

申 込: 不要 (ですが、なるべく事前にご予約ください。定員に達し次第、申込みを締切ります。)

申込が12名(人数把握にミスがあり11名から修正いたしました)に至りましたので、申込受付を終了させて頂きました。これにより当日飛び入りでお越しいただいてもお席のご用意ができなくなりました。ご理解頂けましたら幸いです。

問合せ/申込先:staff.nagoya*cafephilo.jp (*を@に要変換)

 

備 考: 

① 100円程度の寄付を参加者有志からうけつけています。(募金する/しないも金額も自由です。詳しくはこちらを)

② 当日は、参加者皆さまのご許可をいただいて写真撮影(ホームページその他での報告のため)と対話の録音(研究のため)をさせて頂いております。。

 

《ご案内》

私たちはみな、自分の名前をもっていて、それを大切にしています。人に名前を間違えられたら、むっとしたり。でも、同姓同名の人なんていくらでもいますし、そもそも自分で自分の名前をつけたわけでもありません。また、ネット上では、あえて自分の名前を隠したりもします。名前って、なんなのでしょうか?

そんなことを、お茶をしながら気軽に一緒に考えてみませんか?

 

 

《お願い》

  1. よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、下記フォーラムにお書き込みください。匿名にして、当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。
  2. カフェ参加者によるレビューを募集しています。応募いただいたレビューは次回参加者に配布するほか、本HP上(下記フォーラム)やカフェフィロブログに掲載させていただくことがあります。詳しくは上記お問合せ先までお尋ねください。

~記録~

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今回もだいぶ遅くなってしまいましたが、報告です。6月7日(日)に哲学カフェ「名前とはなんだろう」が名古屋駅西口のカフェぶーれで行われました。定員一杯のお申込みを頂き、哲学カフェ@名古屋のイベントに参加経験のおられる方たちばかりの14...

Posted by 哲学カフェ@名古屋 on 2015年6月18日

~フォーラム~

以下の掲示板は次のようにご利用ください。

 

《開催前》

よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、こちらにお書き込みください。匿名にして当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。

 

《開催後》

カフェの最中に言い足りなかったこと、言い損ねたこと、カフェが終わった後から思ったこと、など。もしありましたら、気楽にお書き込み下さい。

 

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コメント: 19 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    (日曜日, 24 5月 2015 06:11)

    名前は、それが一度決まってしまうと、代名詞や形容詞等で表現されていたものが、単語にまとめられ、単語で呼ぶことが可能になるように思います。それにより、より複雑な文章を組み立てるのが可能になるように思います。

  • #2

    高橋 (日曜日, 24 5月 2015 21:23)

    名前とはなんだろう
    最初に問いを考えたのは子供の時
    ファンタジーの物語の中で
    「真の名前を知られると相手に操られてしまう」と
    書かれていて考えたのですが答えは出ませんでした
    それから時が過ぎて「風の谷のナウシカ」の漫画で同じ台詞が
    出てきましたが
    その時にも答えらしきものにはたどり着きませんでした。
    なぜ名前を知ると相手を支配できると西洋では考えたのか?
    日本の昔話にもあるんでしょうか・・・

    なんでなんでしょう?

  • #3

    (日曜日, 24 5月 2015 21:41)

    昔の日本では武士は生前本名(諱?)を避け、仮の名前(字?)を名乗る習慣があったようです。

  • #4

    高橋 (月曜日, 25 5月 2015 13:52)

    昔の日本では
    名前は変えるものだった可能性が高いと思います
    明治になって戸籍が整えられる過程で
    「名前を変えてはいけないというルール」が作られた
    そう解釈しているので
    「名前を変えてはいけないという」という常識が
    近代からの知識でしかないのではないのか?
    今でも伝統的な分野では襲名が残っています

    あなたは名前が変わるとなにか困りますか?

    それはあなたの人間関係が永続するものであると
    仮定していることと関係がありますか?

  • #5

    高橋 (火曜日, 26 5月 2015 13:21)

    名前とは自分にとって大事なものなのか?

    どこかで新しい生活を始めるのであれば
    名前を変えたところでたいした不便はない

    同じ場所で人間関係を継続して数十年生活していたならば
    周りが変更を許してくれない可能性が高い
    仕事と関連付けがあれば更に重要度は増すが
    関連付けが一定レベルを越すと関係が逆転してしまう
    名前が重要で人は変わっても問題ないが
    その名前のポジションがないと支障が出てしまう

    人間がひとりで暮らしていれば名前は不要
    二人でも不要かもしれない
    数人程度でもなんとかやれる気はする
    10人だと不便で仕方がないので必要になる

    人間関係の蓄積があって名前に利便性が出てくる
    でもその相手との関係性が良好ならば
    名前が変わったところで関係は変わらないとおもう
    大事なのはその人であって名前ではない

  • #6

    (火曜日, 26 5月 2015 19:55)

    仮の名前について。芸名、源氏名、ラジオネーム、ペンネーム、ニックネーム等は本名から掛け離れていますが、これも名前の一種かと思います。

  • #7

    (火曜日, 26 5月 2015 20:08)

    名前の呼び方について。名字や、下の名前や、あだ名や、肩書きや、君や、さん等を付けますね。これらは、世間や立場や親しさや性別とが関係してますね。

  • #8

    高橋 (水曜日, 27 5月 2015 13:14)

    名前には勝ち取る?
    称号も入るんでしょうか
    空手の段の事を昔人から聞いた際に
    「黒帯を取るとその前後で明らかに違いが判る位強くなる」と聞いた時に
    そんなこともあるんだと聞き流していましたが
    頑張って10年かかると言っていたことが記憶に残っていました
    あるレベルまで到達すると経験の質が変化する
    その価値が判るグループ内では大きな意味があり
    自称や他称の名前と意味合いが少し違うのでしょうか

    追伸
    今ではそんな対象あるのかな・・・

  • #9

    高橋 (金曜日, 29 5月 2015 15:28)

    名前のことを考えていると
    仏教の戒名の事が頭をよぎります
    亡くなってから付ける方ではなく
    入門?した時に修行?を始める前に付ける方です
    新なる一歩を始めるのに名前を変えるのかと思っています
    もうひとつはアウトサイダーの人達
    私が知っているのはコミューン運動系方々なのですが
    その人達も個性上の名前を重視しない
    警察や役所とあまり相性の良くない生活スタイルを
    どちらかというと好むので
    「戸籍上の名前なんて税金取るための記号でしょ?」
    「地位?役職?そんなことよりあなたは何者?」などと言われてしまう。
    ただし自分たちの興味のある過去の実績は尊敬されます
    この2つはどう違うのかと頭の片隅にあったのですが
    どうも仏教も発生時期にはアウトサイダーだったらしい
    元はアウトサイドで時代を経て場所を変えたことで
    現在はアウトサイドではなくなった仏教と
    市民権をえられないまま衰退してしまったコミューン運動

    仮説
    名前を捨てることは
    社会から抜け出すのに有効な方法なのか?

    では同じ名前のままで
    生活環境だけを変えたのでは
    有効性が低いのか?

  • #10

    高橋 (土曜日, 30 5月 2015 13:48)

    名前を知ることは
    誤解することの始まりではないのか?
    相手を深く知ることと
    相手を深く誤解すること
    その違いを確認する方法を私は知らない

    名前の定義も難しい
    おそらく相手の名前を呼ぶ時には
    その時意識している相手の情報を名前に付属させ
    ・男性
    ・中年
    ・哲学カフェ参加者
    ・コーヒーを注文した
    ・低い声
    ・前回の発言で・・・・
    ・丸刈り
    ・白い服を着た 等々
    初対面でなければ名前だけで判断することは少ない
    その総合評価と特徴をもとに
    △△で○○のTさんであると意識しながら
    名前を呼んでいると思う
    声に出していない相手の情報は名前と言えるのだろうか?
    私にとっては名前よりも声に出していない
    相手の情報の方が重要である
    しかし誰かに紹介する時でもなければ
    その内容を声に出すことは少ない

    相手を表す名称をあだ名やニックネームとして
    的確になづけた人は洞察力のある人と認識される

    的確なあだなと本名
    どちらが価値があるのでしょうか?

  • #11

    高橋 (土曜日, 30 5月 2015 20:44)

    刑務所などでの番号で呼ばれること
    それが最も合理的な名前なのでしょうか

    名前とは本人を特定するものと考えると
    むしろ確実な方法といえるのかもしれません

    名前の差別化をはかるために
    ・由来を付属させる、神話の世界は紹介が長々と書かれている
     神話自体がそのための捏造ともいえるのかもしれない
    ・居住エリアの名前を入れる、宮本武蔵は宮元村の武蔵さんらしい
    ・職業を付属させる、現代はこれが多いのでしょうか
     ㈱大手企業の部長とかは本名より本人より存在感があるかも・・・
    ・家族由来を付属させる、~ちゃんのママなど
    ・~の名手なんかもあります、これは職業と重複でしょうか?
     カリスマ美容師の~さんとか少し前にTVで流行ってました
     スポーツ選手なんかは~の名人であると別に会社名も付いてますが
     TVなどに出演する人には重要な要素なんでしょうか
    ・社長、先生とかはいろいろな意味で使えるので別枠?

    仮説
    交流が広域で人数が増える程差別化の必要性が高まる?

    ネット上ではハンドルネームで有名人
    現実では引き篭もりで人との接触は拒絶
    この人の名前はどっち?
    それは本人が決めるもの?
    それとも呼ぶ人が多い方?

  • #12

    高橋 (日曜日, 31 5月 2015 21:19)

    名とは対象を情報にすること

    名とは愛情をもってつけるもの

    名とは憎しみをもってつけるもの

    どちらもおなじ名前なのに

    どちらも至るところで増えていく

    どちらを人は増やしたいのだろ

    名前を呼ばれることは嬉しいこと

    名前を呼ばれることは怖いこと

    名前を呼ばれると人生はかわる

    選ぶことができるなら

    選ばれてしまうならば

    選ぶしかないならば

    優しい道を

    いけたらいいな

  • #13

    babymetal (金曜日, 05 6月 2015 10:57)

    今回のテーマは「人の名前」が中心でよいでしょうか。「哺乳類」とか抽象名詞、集合名詞は外します。

    さて、人の名前としてイメージするものを列挙します。
    ①固有名詞②本名③仮名④偽名⑤匿名⑥字(あざな)⑦諱(いみな)⑧諡(諡)⑨雅号(10)苗字帯刀(11)姓と名(12)キラキラネーム(13)姓名判断(14)男女別姓(15)子のつく女性の名前(16)家名(17)名誉(18)出世魚(19)襲名
    それぞれ、どのような機能を果たしているか?人にとっての意味は?

    論点として
    (1)どんな名前も付けて良いのか?禁忌はあるのか、何故か?
    (2)本名を呼ぶことの意味について
    ①失礼ではないか
    ②名前を覚えられることは嬉しい?忘れられることは悲しい?
    ③有名になること、無名であることは、どんな意味があるか?
    (3)名前がない世界はどんな世界か?
    ①「知る」ことは可能か?②話すこと、聞くこと、コミュニケーションは可能か?
    ②アイデンティティは持てるか?
    (4)本名を知らせること、知られること、知ることと、現代社会で「暗証番号」「ID」「パスワード」を知らせる、知られる、知ることと比較してみると、何が危険で大変なのか違いはあるか?

  • #14

    babymetal (金曜日, 05 6月 2015 14:42)

    追加です。

    名前で呼ばない場合がありました。

    幼稚園などでは、親同士がナントカちゃんのママやパパと呼びます。それで通用してしまいます。

    夫婦で、互いにパパとかママと呼び合うこともあります。名前を呼び合う夫婦もあります。

    本人にとっては、名前を呼び合わなくてもいいのでしょうか?

    香港では、Englishネームがあります。自ら勝手に付けています。何故だろうか。
    日本では在日朝鮮人の方が本名と通名を使い分けられる方がいます。香港とは事情が違います。使わざるを得ないのは差別があるからです。かつて、日本は朝鮮でなぜ創氏改名をしたのだろうか。

    台風にはなぜ人名をつけるのだろうか?

    自己紹介した時、名前を言わない人がいます。肩書きばかりの人がいます。優先順位は何番でしょうか?その理由は?

    名前はだれのものだろうか?

  • #15

    高橋 (金曜日, 05 6月 2015 22:09)

    悪口は名前の範疇になるのだろうか?

  • #16

    babymetal (金曜日, 05 6月 2015 22:48)

    言葉特に名前には呪力がある。世界や存在するものを作る力があると考えられてきたのではないかと思います。

    名前とその指示対象との関係が不即不離の関係にあると考えられていた前提があったのではないでしょうか。

    だから、本名を知られること、使われることで困ることは、魔法をかけられたり、呪われ殺される恐れがあった。
    「西遊記」には名前を呼ばれて返事をすると瓢箪に吸い込まれる話があったのも名前がその対象そのものだから。
    死んだ人の名前を口にすれば、死んだ人の霊魂を呼んでしまう。
    男性が女性の名前を尋ねることはプロポーズであり、名前を教えることは承諾を意味したらしい。
    神の名前はみだりに口にすることは恐れ多いこととされてきたのは、名前で呼ばれる神は呪術師に使役される程度の位の低い神だからではないだろうか。
    諱という本名で呼んでよいのは親や先生など目上の人、身分のある人は成人後字で呼びあう。
    目上の人を本名で直接呼ぶのは失礼なため、官位や肩書きで間接的に呼ぶのがよいとされたのではないだろうか。
    「名は体を表す」という言葉も、名前があればその指示対象である体が実在するという素朴な信念である。
    名前には禁忌が多いのは、名前と実在とを分けられなかったからかもしれない。

  • #17

    babymetal (金曜日, 05 6月 2015 23:47)

    日本のサル学が世界最高水準である理由の一つに、サル一頭ずつに名前をつけたことあげる人がいた。
    個体識別をして、サル社会の中での位置や関係が見えやすく観察しやすくなったらしい。
    名前をつける、名前で相手をよぶことは、その他大勢から個人として意識していますというメッセージかもしれない。
    名前を呼ばれて、高校生は喜び、呼ばれないと、教師は生徒に関心がないと評価される。
    承認されたい、認められたい欲求が、マズローの欲求のピラミッドにあったはず。
    名前を残すことに拘る人は、名前を覚えていられる限りは不死であると考えているのではないだろうか。
    名前を赤い色で書いたら怒らせたことがある。死人の名前を赤い色で書く風習があり、生きている人に使うのは失礼なのだそうだ。
    九州の動物園がその年に最初に生まれたサルの名前を公募するらしく、例年どおり公募したところ、シャーロットが多く採用したところ、イギリス王室に失礼だと騒ぎになった。同じ名前の指示対象が王室とサルではいけないという古い考えだ。

  • #18

    babymetal (土曜日, 06 6月 2015 05:58)

    名前をその文化圏がどう考えているのかを問いを立てる手掛かりに、名前を付ける、変える時が良いのではないか?
    一つは、子どもが生まれた時である。とりあえず結婚した夫婦の間に生まれた場合を考えてみる。未婚の事例は今は問わない。子どもの名前は、①個人名だけか、②血統を示すファミリーネームをつけるか、②の2父系の血統か、母系の血統か、③名前の付け方に法則性や傾向はあるか?例えば宗教の聖人、祖先、ジェンダー的な価値観、社会情勢、流行、親の所得や文化資本、地理、歴史、民族、兄弟姉妹関係の表示、将来の生き方や幸運の運勢との関連付けか④子ども時代の名前と成人後の名前が違う、⑤付けてはいけない名前がある。支配者の名前、神の名前、悪魔やイジメられそうな侮辱されそうな名前など。
    二つは、結婚である。
    ①夫婦別姓か。それは男尊女卑からか、男女同権からか、個人重視からか、姓など血統重視からか、氏など部族を示すのか、仕事や人間関係の一貫性からか②夫婦同姓か。それは家族観からか、同質性を求めるからか
    三つは、国籍取得である。①元の名前のまま、②名前を変えなくてはならない。日本では漢字表記や日本文化的な名前を変えさせ「帰化」を自覚させた。
    四つは、宗教への入信である。①名前の変更なし②クリスチャンネームとか、ホーリーネームとかつける。
    五つは、文化集団というか職業集団へ入る時である。
    ①相撲の関取のしこ名②歌舞伎③落語家④古典芸能⑤現代の歌手、俳優の芸名⑥風俗産業⑦ペンネーム、筆名、雅号

    その他は略。
    これらを何故どうしてか問いを立てては問い続けた時に、名前とは何と見えてくるだろうか。

  • #19

    高橋 (日曜日, 07 6月 2015 21:09)

    どうも名前とは自分を表すものではあるらしいが
    自分以外との関係で意味が付加されるものらしい

    漢字の表記は一族にとって重要である
    親戚関係がなく
    両親から家系が始まる私にとっては
    一族のルールが名前に大きな意味づけをする発想はなく
    面白く感じました

    また刑務所でも番号では呼ばず
    名前で呼ぶとの情報も面白かったです
    しかし刑務所が多国籍な場所にあり
    そもそも名前を読むことができない言語で書いているとすると
    番号で呼ぶ方が効率的になるのかとも感じました

    参加者の多くが述べた名前を巡る物語もまた
    閉鎖的な空間でのエピソードが多く
    名前の意味には過去との結びつきが強い

    名前のエピソードを話すことは
    過去を懐かしむことに通じるのだろうか
    幸せそうに話す参加者の姿を見ながら
    こんなにほのぼのと始まる哲学カフェもあるのかと
    更に哲学カフェへのなぞが深まりました