公共図書館の役割は何か

(2015年11月1日)


~告知~

カフェ・サンラファエル
カフェ・サンラファエル

■ 日 時: 2015年11月1日(日) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 公共図書館の役割は何か

進 行: 井下賢一

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 13名

申 込: 不要 (ですが、なるべく事前にご予約ください。定員に達し次第、申込みを締切ります。)

問合せ/申込先:staff.nagoya*cafephilo.jp (*を@に要変換)

備 考: 

① 100円程度のご寄付をお願いしています。(強制ではありません。詳しくはこちらを)

② 写真撮影と対話の録音をさせて頂いております。NGの方はお申し出ください。

 

《ご案内》

各地で図書館のあり方が問われています。先日は小牧市で「TSUTAYA図書館」を巡り住民投票が行われました。数年前には中津川市で「新図書館建設」問題が市長リコールにまで発展し中止されました。厳しい財政状況の中、身近な知への入り口である公共図書館の果たすべき役割をどう考えたらよいか、みなさまとともに考えていきたいと思います。
初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

 

~記録~

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~フォーラム~

以下の掲示板は次のようにご利用ください。

 

《開催前》

よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、こちらにお書き込みください。匿名にして当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。

 

《開催後》

カフェの最中に言い足りなかったこと、言い損ねたこと、カフェが終わった後から思ったこと、など。もしありましたら、気楽にお書き込み下さい。

 

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コメント: 14 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    毬水 (火曜日, 20 10月 2015 11:31)

    公共図書館とは市民のものなのか?
    ここのでは行政区分の市民なのですが
    刈谷市、安城市、知立市、高浜市、碧南市の市営図書館では
    住民か周辺市町村に職場がないと本の貸し出しはできないそうです
    10年ほど前に足助町や長野県飯田市を利用した際には
    貸し出しをする際には制限を受けるルールはなかったのですが
    今はそういうものなのでしょうか?
    公共には縄張りがあり人により区別される
    改めて考えてみると大枠は判るし線引きも判る
    けれどなにかしっくりしないものがモヤモヤ残る
    公共と共同体と行政区分
    よく判らなくなってきたのですが
    TSUTAYA図書館が問題とされたのもこのあたりのことと関係あるのでしょうか?

  • #2

    たつみ (金曜日, 23 10月 2015)

     ぼく自身はこれまで全く公共図書館(国、地方自治体の設立運営する図書館)を利用したことがこれまでない(その必要を感じたことも殆どない)ものですから、皆さんが一体どんな場合に、如何様にそれらを利用されているのか、利用の目的や、利用されての感想、その問題点などを伺えたらと思います。

  • #3

    哲-METAL (水曜日, 28 10月 2015 17:33)

    テーマについての分析から、または公共・公立図書館についての日常生活での経験にもとづいた知識の吟味から哲学的に考えてよいかもしれないし、「ちびくろサンボ」とか「はだしのゲン」など、差別や政治に関して、知る権利、表現の自由など具体的に考えるのも良いかもしれません。

    ただ、私にはストレート過ぎるテーマです。今回のテーマは社会教育や図書館関係者の間で議論され実践が積み上げられてきたテーマであることを少しは知っているからです。

    私的なことですが、学生時代に社会教育のゼミに特別に入れてもらい、図書館司書の市民運動グループの会報を読んでいましたので、TSUTAYA図書館の争点や論点については、司書や図書館関係者の従来の議論を踏まえつつ、指定管理者制度や委託や民営化などの再評価から、公共図書館とは何かを改めて考え直したいと感じています。

    哲学カフェは、哲学の専門用語や哲学史の知識がない人とある人とが対等に対話するため、専門知識はなるべく使わないとか、使った時は知らない人から質問されて、わかりやすく説明しなくてはいけない、としているところが多いと思います。

    これは哲学に限りません。他についても言えます。とりわけ公共図書館については、行政や専門家が独占的に考え決めることではありません。市民と専門家を交えて話し合って市民的公共へと昇華させたいテーマだなと思います。

    11月1日は参加しませんが、大切なテーマだと思います。

  • #4

    哲ーMETAL (木曜日, 29 10月 2015 06:19)

    サイエンスカフェあるいは討議型世論調査のように、公共図書館の役割とは何かを問い答えるためには、原発の再稼働やTPPや集団的自衛権などと同じく、ある程度は専門的な学習は必要な気もします。
    某県の討議型世論調査を見学させていただいたことがありますが、行政のお手盛り感
    は拭えません。
    討議型世論調査にまでいたりませんが、
    哲学カフェ的世論対話は大切だなと思います。

  • #5

    哲ーMETAL (木曜日, 29 10月 2015 06:46)

    公共図書館は、義務教育の小中学校に比すべき教育機関でもあると思います。
    地域の就学前の子どもから後期高齢者まで誰もが利用できなくてはなりません。
    生活課題や社会課題の解決のためには学習と実践が両輪ではないかと思います。
    貧富の格差や社会的な差別やマイノリティであることが、情報へのアクセスに格差があってはいけません。

    一般的には公共図書館は、公立の幼小中高大特別支援学校と同じ位置づけで考えてよいとします。
    私立学校や学校教育法第1条の学校以外の専門学校や各種学校または塾や習い事の場があるのと同じように、図書館も多様です。

    ザックリ言うと27-28年前だか松下圭一さんが「社会教育の終焉」というエポックメイキングな本を出しました。

    高度経済成長で豊かになった日本には、カルチャーセンターや民間サービスが拡大したのだから社会教育は役割を終えた。実際に社会教育の場は、カルチャースクールや貸館業になっているではないかと。

    新自由主義的な行財政改革は、教育の世界でも、教育改革と称する一連の改革で教育の私事化が進みました。
    公共図書館も例外ではありません。

    コンビニエンスストアやインターネットで図書館を巡る環境はさらに変わりました。
    その一つに地域で書店が姿を消しました。
    ネットで情報を集めたり、ネットで本は買えます。

    地域の情報センターとして、公共図書館は姿をどう変えるのか、何を残すのか。

  • #6

    哲ーMETAL (木曜日, 29 10月 2015 13:04)

    幾つか問いを立ててみます。
    ①図書館が完全に民営化された場合、図書館はどうなるだろうか?貸本屋、レンタル、古本屋があればよいのだろうか?
    既に一部の答はTSUTAYAやBOOK OFFの現状にある。
    1.都心部やロードサイドに集中立地する。赤字になるところには立地しない。地域格差が生まれる。 2.商品価値のあるマンガやハウツー本や実用書やHな本が並び、学問的価値のある学術研究書や前衛的な本は置かれない。 3.販売目的以外に棚に置く意味がないため、売れない本は棚から降ろされ処分されてしまう。蔵書しない。 4.働く店員はアルバイト代まで低賃金化する。本に対する商品知識がある書店員はいてもレファレンスまで出来る書店員はいない。5.人文科学や社会科学の本より、タレント本かリクエストが多いならば、タレント本をたくさん並べて貸し出し冊数を増やせば良いか?
    ②インターネットには青空文庫などがある。著作権切れなどのアーカイブは出来る。図書館は不要になるだろうか?
    ③ヤフーニュースによれば、公共図書館に新刊本が置かれるため、本が増刷されて売られないと一部出版社に新刊本に規制を求める声があるそうだ。そもそも売れる本のみにあてはまるのだろうけれど、公共図書館は民業を圧迫しているのか?
    ④公共図書館といっても、国立国会図書館、県立図書館、市町村立図書館、学校図書館などがある。それぞれの役割があるのではないか?
    ⑤たつみさんのように、図書館を利用されない人もいるし、かなり多用するヘビーユーザーもいるだろう。
    1.図書館の公共性とは利用人数だろうか?
    2.図書館の公共的な価値はどこから生まれるのか?
    ⑥良書を並べるのが図書館の 役割か?悪書も並べて良いか?良書とは何か?図書館が蔵書し貸し出す本は、どのような視点で集めて貸し出しているのか?
    ⑦公共図書館の在り方と作者、研究者、文化芸術、学問、出版社、書店、地域の文化活動、教育とはどのような関係にあるのだろうか?
    ⑧TSUTAYAの場合、貸し出し履歴情報の転用やTカードなどのポイントで利益を誘導したり、個人情報の流用に対して、倫理的な歯止めは可能なのだろうか?
    ⑨図書のアーカイブや分類整理やリファレンスなどは、短期的利益を求めがちな企業に技術や人材育成などは期待出来るのか?

  • #7

    哲-METAL (木曜日, 29 10月 2015 19:19)

    公共図書館に問題や課題としてあげられてきたのは、「開館時間が短い。夜遅くまでしていない」くらいしか浮かびません。
    公務員で給料が高いとかもあります。
    サービスが悪いとかもなくはないですが、
    司書としての専門職を配置せずに、ジョブローテーションの一般行政職をハイチすれば批判も宜なるかなです。
    指定管理者制度にして、人件費や運営費を削る自治体もありますが、私の見た感じでは高齢化したり経験者や本好きな人を採用している感じです。長期的にみての結果はこれからかなと。

    学校で教員にあたるのが、公民館では社会教育主事、図書館ならば司書です。
    貸し出し業務や本の受け入れ、分類、バーコードを貼り、帳簿作成、廃棄手続き、配架、蔵書電源、修繕とかのサービスならば非正規雇用ひして人件費を安くあげられるというのがTSUTAYA図書館など民営化で行財政改革の論拠です。
    「はだしのゲン」は配架すべきでないと市議会議員が要求してきた時にどう考えどう対応するか、誰がどのような理念や原則で決めるのか?司書の専門性は職業倫理に発揮されます。単なる人件費カットのためだけに集められたアルバイトやパートの方々に求められるものか?
    私は豊橋での図書館学習会で武雄のTSUTAYA責任者の方の話を聞き質疑応答もしました。スタバが入っているとか入場者数や視察団体戦数は多いことはわかりましたが、まだ蔵書方針や貸し出し方針について、どこまで株式会社に出来るか注目していますが、まだ見えません。

    雑駁な非哲学的な駄文で失礼しました。

  • #8

    哲-METAL (木曜日, 29 10月 2015 22:56)

    図書館司書の大切な仕事として、レファランスを失念していました。
    ベテランの司書でレファランスが出来るかどうかが、図書館が教育機関か否か左右します。
    公共図書館の役割について、理想や理念もあれば、それがまだ不十分にしか実現出来ていないのか、図書館を巡る状況が変化した中で、娯楽サービスを提供することに傾斜したTSUTAYAが参入して、事態が鮮明になったと思います。

  • #9

    哲-METAL (金曜日, 30 10月 2015 04:41)

    図書館の役割の一つである本や出版物の閲覧や貸し出しを、単なる「情報」を提供するサービスとしか考えていなければ、人件費が安くて効率が高ければ良くて、それらの情報に価値や意味の違いはない。また「情報」は流通さえしていればいいのかもしれない。
    内容を評価し分類し集積して利用しやすくして、大袈裟に言えばいつの日か科学的探求のために利用されるために人類のために蔵書されるという、公共的な関心はない。奥の細道が古典文学の棚ではなくて、旅行の棚に置かれたと報道されたTSUTAYA系図書館の分類はタイトルだけからの分類と失笑を買ったり批判された理由はこれではないか。

    図書館は「情報」を「知識」に変換するとか、娯楽の提供でなく、地域住民が市民性を高めるための自己教育の場であるとか、「情報」を収集し整理し考察し結論を出す「課題探求」型学習を行える場であり、おそらく情報が知識になり教養となり、寛容の精神が生まれる事を期待してもいるのでもあろう。知る権利を行使し表現の自由などは、多元的な自由主義を可視化すれば図書館になる。

    哲学というより、思想を非論理的に騙りました。悪しからず。

  • #10

    哲ーMETAL (金曜日, 30 10月 2015 10:29)

    図書館の役割分担や生態系を考えてはどうだろうか。
    大型書店、町の本屋、コンビニ、県立図書館、市町村立の中央図書館と分館、移動図書館、学校図書館、漫画喫茶、最近流行りのまちなかで交換する図書館、古本屋、貸本屋、アマゾンなどのネットショップ、コミケ、著作権、政府の言論政策、文部科学省、出版社、取次会社、他のメディア、テレビ、雑誌、小説家、文学者、利用者など。どのように生態系ができているのか?

    いわゆる「市場の失敗」がある。赤字になり採算がとれないため、社会として必要な財やサービスが今日急されないことである。公共図書館が公共財であり、本や図書が公共財であるならば、無料で貸し出し利用できることは、文化の創造や継承といった成果を出しているといえると思います。

    TSUTAYA図書館は官設民営である。市民に密着したニーズを効率よく提供できることが期待されている。民間企業が公共サービスを提供できないわけではない。武雄のTSUTYA責任者は、武雄のまちづくりのためにと言われていた。図書の選定に批判もあるが、全体を検証してから評価したいて思う。

  • #11

    たつみ (金曜日, 30 10月 2015 12:39)

    公共図書館内にはカフェは敷設されているのでしょうか。読書につかれたらその本やヴィデオテープなどを持ったまま(あるいは机上に置いたまま)利用したり、哲学カフェを催したり、友人や利用者が相互に<哲学的対話>をしたければできるような自由で安全で快適で知的な空間が。

  • #12

    哲ーMETAL (金曜日, 30 10月 2015 12:57)

    武雄図書館にはスタバが入っていて、昔はそれをPRしてました。
    筑波大学の図書館に行った時にスタバがありました。ソクラテス・サンバ・カフェという哲学カフェは、スタバ内ではなくて、スタバと図書館の間でします。ただし、間にスタバのデモがあるようです。私の訪問時にはしていませんでした。

    「図書館カフェ全国地図(日本)」があるようです。貸し出し後利用がほとんどで、貸出前の持ち込み可は日本では3箇所だそうです。図書館での哲学カフェの事例はありますが、カフェを利用したかまではわかりません。

  • #13

    哲ーMETAL (金曜日, 30 10月 2015 14:42)

    図書館カフェ全国地図は東京にマークが集中しています。私の居住地の図書館にも喫茶はありますが食堂的です。マップにはないです。マップの基準や完全枚挙か怪しいですね。また勤務地の図書館には食堂があります。カフェというには?です。

  • #14

    哲-METAL (土曜日, 31 10月 2015 06:43)

    今日の明日で何ですが、お勧めして良いかどうか、悩みましたが。
    日本図書館協会のホームページの、「図書館について」のタグの中に「図書館に関する資料・ガイドライン」のタグがあり、その中にある「図書館の自由に関する宣言」や「図書館員の倫理綱領」や「ユネスコ公共図書館宣言 1994年」を読まれると図書館側の考え方がよく解るかと思います。
    また、同じく「図書館について」のタグの「図書館協会の取り組みについて」のタグの中に指定管理者制度のチェック項目があります。TSUTAYA図書館に関しての図書館協会側の危惧のポイントがわかります。

    私はこれらを読まなくても哲学カフェすれば良いと思います。まるで正解があるかのようで、犯人が解ってから読む推理小説ではないかとなりますよね。あくまで図書館協会側の視点として批判的に読解されたらと思います。またTSUTAYAや武雄市側の意見を知らないと批判的考察も不十分です。

    調べると、自分の頭で考える哲学する楽しみが減りますね。

    読んでも読まなくてもいいかなと思います。

    私は10年近く前に放送大学の通信教育で司書教諭の資格をとり、司書教諭活動に情熱的な方の下でごくごくほんの一部の雑務をしながら図書館の世界を隅から見ているだけです。経験知としてよく解ってはいません。
    市民の知恵や良識が判断するテーマと思います。