メタ哲学カフェ 第十一回

哲学カフェに適正人数はあるか?

(2015年9月19日)


~告知~

カフェ・ティグレ
カフェ・ティグレ

■ 日 時: 2015年9月19日(土) 10:00~11:30

場 所: カフェティグレ伏見店

    (名古屋市中区錦1丁目10-11、ユーキホテル1階)

     地下鉄「伏見駅」10番出口より徒歩1分

テーマ: 哲学カフェに適正人数はあるか?

進 行: 三浦隆宏(カフェフィロ)

参加費: 飲食代実費(400円~)

定 員: 15名

申 込: 不要 (ですが、なるべく事前にご予約ください。定員に達し次第、申込みを締切ります。)

問合せ/申込先:staff.nagoya*cafephilo.jp (*を@に要変換)

 

備考: 

① 100円程度のご寄付をお願いしています。(強制ではありません。詳しくはこちらを)

② 写真撮影と対話の録音をさせて頂いております。NGの方はお申し出ください。

 

《ご案内》

ソクラテス対話篇で描かれる哲学対話が少人数でなされているように、対話の規模が小さければ小さいほどより突っ込んだ話し合いもしやすくなります。通常15人前後でなされる哲学カフェは、その点対話を深めるのはなかなか難しいですが、とはいえより他者に開かれていて風通しが良いとも言えそうです。
哲学カフェに適正なサイズはあるのか、あるとしたらそれはどれくらいか、今回はこの点についてみなさんと考えてみたいと思います。

 

~記録~

Twitter速報

facebook報告


~フォーラム~

以下の掲示板は次のようにご利用ください。

 

《開催前》

よろしければ、当日の対話で議論してみたい論点や質問してみたい疑問などの提案がありましたら、こちらにお書き込みください。匿名にして当日の配布資料にさせて頂いたり、進行の参考にさせて頂くかもしれません。

 

《開催後》

カフェの最中に言い足りなかったこと、言い損ねたこと、カフェが終わった後から思ったこと、など。もしありましたら、気楽にお書き込み下さい。

 

下記に コメント:n となっていれば、現在n個のコメントがある、という意味です。たくさんある場合、コメントは投稿順に並んでおり、入力欄はコメントの一番下にあります。(下記「コメントをお書きください」リンクで飛べます。)

また、投稿するには「名前」記入が必須となっていますが、これは本名である必要はありません。

コメント: 16 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    (月曜日, 07 9月 2015 20:49)

    適正サイズはおそらく、哲学カフェを実践していく過程で決まって来たものだと思うので、哲学カフェの経験を踏まえた、一定の観察結果に基づく、一種の統計だと思います。経験というと、個人によって経験が違い、得意とする人数が違うと思います。人数が極端に少ないと、初対面で濃い話をするのは困難だと思われ、ある程度人数がいれば、誰かが話している時は誰かが聞いていればいいし、誰かの話のリアクションとして、話を繋ぐことができるように思います。初対面の哲学カフェで濃い話をしようとと思えば、一定以上の人数は必要な気がします。

  • #2

    哲-METAL (土曜日, 12 9月 2015 06:00)

    「哲学カフェに適正人数はあるか」という問いは、意味があるか?
    ①Yes、NOで答える閉じた問いか?②あると答える場合は人数を概数であれ答えるのか?②あると答える場合、どのような視点と条件下で可能なのかを考察するのか?④ないと答える場合、適性人数の概数であれ回答不能だからか。⑤ないと答える場合、哲学カフェ*適性人数*あるの何れかが無意味であるからか⑥あるとか、ないとか客観的に何時でもどこでも誰にでもを意味するのか?⑦コップの中の水が多いか少ないか適正か?は主観的なのか?その基準は何なのか?

  • #3

    哲ーMETAL (土曜日, 12 9月 2015 06:49)

    一般的には、誰が誰に対して何のためにどのような哲学カフェの場面でどのような問題を解決するために、この問いを立てたのか、このフレーズで小説なりドラマを作るというワークショップをしている設定で考えてみます。

    (1)誰がこの疑問や問いや期待を抱いているか。①哲学カフェ企画者②哲学カフェのファシリテーター③哲学カフェの参加者④その他(哲学カフェを開く場所の管理者など)
    (2)哲学カフェをどうとらえるか?①喫茶店でひらくもの②教室、会議室、広場などで一堂に会して開くもの③インターネットなどで非同期的に遠距離でタイムラグがあっても良いもの
    (3)哲学カフェの在り方や目的がどう関係するのか?
    <1>企画者、主催者側からは、
    ①多様な視点からの意見や考えが出てくることが良い、または聞けたら良い②なぜ、どうしてか、問い続ける哲学的な思考のプロセスを点検すりことを大切にしたいか?話が脱線し過ぎない方がよいか③顔と顔が見えて人と人とが親しく対話を楽しむことが良いか④テーマを問題解決が優先するか。⑤哲学のスキルを高める道場にしたいか?⑥哲学が好きな人が集まる居場所、溜まり場、コミュニティにしたいか⑦テーマごとに参加者が総入替してもよい、その場限りのアドホックな方が、しがらみなく人間関係に左右されずマンネリ化やパワーバランスがはたらかなく哲学することに集中してよい
    <2>参加者側からは、
    ①自分の意見を言いたい、発言出来る可能性が高いほうが良い②自分の意見に質問や賛成や反対をされるなど反応が欲しい。③誰かの意見に刺激を受けて自分の意見を言い、また誰かが意見を言うなど、意見のやりとり、対話を楽しみたい④発言したくないけれど、他人の多様な意見を聴きたい⑤匿名性が高いと安心する⑥顔見知りだから、よく知っている人が多いと安心出来る⑦哲学することはゲームやレクリエーションでそれじたいを楽しみたい⑧参加者との交流を楽しみたい。哲学は後回しでもいい。茶話会、飲み会のようなゆるい集まりが良い⑨哲学好きのコミュニティを作りたい。閉鎖的哲学オタクや同好会がよい。

  • #4

    哲-METAL (日曜日, 13 9月 2015 18:45)

    哲学カフェを開いて申し込みが下記のような人数の場合、どのようにすればより良い哲学カフェになるかを考えてみたら「何人でも適正人数である」という回答になるのではないでしょうか。時間は2時間とします。
    ①2人 かなり濃い対話ですね。長所と短所があります。②4〜5人 よくある哲学カフェです。発言場面が必ずあるかなと。③7〜8人 これもまあいいかなと、黙って発言されない方が出てきます。特定の人ばかり発言するかも。④14〜15人 参加者どうしの顔と名前は人によりますが、何とか識別して理解できる。ファシリテーターに依存せずともコミュニケーションボールで参加者どうしで、対話や発言を調整できるかなと。⑤40人 現在の学校の学級定数です。長さが2時間の尺だと、一人平均3分です。一つのグループでやる場合、複数のグループに分かれる場合があります。⑥70〜80人 フランスの哲学カフェ発祥のカフェは60〜70人くらいでしょうか。日本にそんなカフェがあるかどうか。⑦100〜250人 1学年規模 ⑧800人 学校規模によりますが全学年 物理的な箱や機材、道具、スタッフ、方法には異論があるかと思いますが、やってやれない訳はないと思いますか?哲学カフェが形式化、形骸化しますか?何が哲学カフェが哲学カフェであるのだろうか?

  • #5

    哲-METAL (日曜日, 13 9月 2015 21:39)

    「適性人数はあるか」という問いの「人数」を再考します。量としての数か質としての数か?個人を個として捉えるならば人の数だけ多様性が増しますから、人数は多ければ多いほど多様性を増して、哲学させられる蓋然性が高まるはずです。量は質に転化するのだろうか?しかし、次の場合はどうだろうか?「女性の社会進出とは何か」というテーマに70代の保守的な男性だけが30人集まった哲学カフェと10代、20代、30代、40代、50代以上が男女4人ずつ20人で未婚、既婚、専業主婦、第一次第二次第三次産業、無職、正規、非正規、派遣、学歴、都市、農村、国籍、障がい者、支持政党、所得が多様になる方々を混在させた場合とで、実際にはどちらが哲学的な適正さ(何やねん?)と相関関係はあるだろうか。

  • #6

    鞠水 (日曜日, 13 9月 2015 22:56)

    人数からどんな哲学カフェになるかを考えるのも
    おもしろいのでしょうか
    人数に関しては客観的に測定できます
    誰がどう感じようとも10人は10人
    発言しなかった人は云々となったとしても
    途中で帰る人が出ようとも
    途中で参加する人が増えようとも
    数えることができる
    過去に参加した人が経験から
    人数で印象が変わったかを話し合うことは
    意味があるのかもしれません

  • #7

    哲-METAL (月曜日, 14 9月 2015 00:40)

    哲学カフェの「適正人数」の「適正」を強引に再考します。
    あるテーマについて、利害関係のある当事者が賛成や反対な疑問や意見を言ったり、関係分野の法律や実務関係の専門家が、進行役の仕切りで、それぞれの視点で異なる主張を語る事で、対立点や問題点を明らかになるのを見たり聞いたりして、無知の知の自覚をしながら自分の考えを作る・・・・・これは哲学カフェに、いろいろな意見を聴けるのが楽しいからという参加動機ならば、かなり適正な良い哲学カフェではないだろうか・・・・これは哲学カフェではなくて、別ジャンルであるパネルディスカッションや討議型世論調査の話です。適正な人数は何百人になっても大丈夫ですし、入退場自由にもできるどころか、テレビ録画中継でもいいならば人数は無限大!
    哲学カフェとしては、はぁ〜?如何かと思うならば、これらと哲学カフェは何処が違うのだろうか?
    適正のとは何だろうか?

  • #8

    哲- (月曜日, 14 9月 2015 09:29)

    音楽イベントの最後に「今日の感想をお聞かせください。意見や要望をお聞かせください。」というアンケートをよくとります。すると「良かった。楽しかった。このままでいい」という声がある一方で、「演歌がいい。ジャズがいい。アイドルがいい。」と総花的なウイッシュリストが出来てしまいます。哲学カフェが終わった後で「今日の哲学カフェの人数は適正でしたか?」というアンケートをとって「多かった。少なかった。ちょうど良かった」と回答がバラけた場合、どう対処するのだろうか?
    そうならないようにするためには、どうしたら良いのだろうか?

  • #9

    哲-METAL (月曜日, 14 9月 2015 10:53)

    困りごとから考える。人数と直接、間接に関係があるか評価してみます。①声が聞こえにくい②顔が見えない③意味が解らない④暑い、寒い④周りが騒がしい⑤窮屈⑥机または椅子が欲しい。または要らない⑦落ち着かない⑦哲学カフェの声が外に漏れる⑧哲学カフェの場所が不便⑨土日休みの人しか来れない10.平日午前に時間がある主婦と高齢者しか集まらない11.子どもの送迎時間や食事時間で子どもがいる家庭の方々が来られない12.雨なので行きにくい13.盆休みと正月で帰省時期で行けない14.真夏の昼間15.真冬で風が強い16.テーマが特殊過ぎて興味がない17.昔からの人がいて入りにくい18.発言力のある人がいて気後れがする 参加者を呼びたい時に呼べるものではないものです。人数という指標から何を読み取れるのか、適正とは何か?

  • #10

    たつみ (月曜日, 14 9月 2015 11:17)

     哲学カフェの最後に「今日の感想をお聞かせください。意見や要望をお聞かせください」という、さまざまなイべントなどの最後にとるアンケートをとらないのはなぜだろう???

  • #11

    哲-METAL (月曜日, 14 9月 2015 20:14)

    哲学カフェの最後に「今日の感想をお聞かせください。意見や要望をお聞かせください。」というアンケートをとらないことについての私の意見です。
    哲学カフェは料金を受け取り、対価としてサービスを得るような関係が主催者と参加者の間には成り立たないからです。「私はつまらなかった。私の提案が採用されなかった。俺は質問されたかった」と哲学カフェ非難する参加者がいたとします。かまって欲しいわけですが、そんなことが主催者や参加者が対応する必要はないと思います。
    また、「私は参加費⚪️⚪️円を払ったのだから、哲学させて欲しかったが、哲学的に考えられなかった。もっと参加者の誰もが哲学できるように盛り上げるべきだった」という感想は変だと思われます。なぜならば、参加者も対話の成否に関わる連帯責任があるからです。自ら哲学するかどうかは本人の姿勢や努力が求められており、発言を引き出すのは哲学カフェの指名された正式なファシリテーターだけでなく、参加者もある意味で「ファシリテーター」役として参加して哲学カフェを作り上げる、探求の共同体になることが、哲学カフェ成功の鍵だからだと思います。
    哲学カフェの参加者をサービスの受動的な消費者、カフェの傍観者や見物人や評論家或いはネットで散見される傍目八目にしてしまわないためにも、意見や感想や要望は安易に聞かないのだと思われます。

  • #12

    哲-METAL (火曜日, 15 9月 2015 21:18)

    コメント1(原さんが書かれた)を、私なりに「哲学カフェの適正人数は経験で解る」と解釈しました。
    何を持って誰にとって適正か、適正かどうかを評価するための客観的な基準や妥当な方法については、脇に置きます。
    15人の哲学カフェを10回してほぼ全て適正で、16人と14人の哲学カフェでは半数で適正で、また17人と13人の哲学カフェはほぼ全て適正でなかったとします。これらの経験的事実から推理して、哲学カフェの適正人数は14〜16人であるとして良いのだろうか。
    また、哲学カフェの適正人数は14人とか7〜8人とか統計的に中央値や平均値を出すことを期待されているのか、10〜20人とか幅がザックリしていていいとされているか、「少なくとも2人以上」とか正しいけれど無意味でもいいのか、
    質問者の質問をどう思いやったら良いのだろうか。

  • #13

    哲-METAL (金曜日, 18 9月 2015 06:58)

    哲学カフェに適正人数はあるか?という問いについて考えてみます。
    人間は動物か?という問いならば、動物という概念が人間という概念の上位にあるとか分析して、人間は動物であると答えられます。哲学カフェには適正人数があるかという問いはその種類の問いには思えません。
    昨日の天気は晴れだったか?という問いは、東京の天気か愛知の天気か大阪の天気か特定されておらず即答できません。問いが発せられた状況しだいです。東京から愛知へかけられた電話であれば愛知の天気を聞いているし、東京で東京の人に愛知から来た人が問うたら東京の天気を聞いていると判断するのが通常かと思います。また、晴か曇か雨かについても、基準かも案外客観性に欠けます。少雨やにわか雨や夕立ち程度を晴れと答える人がいない可能性を排除できません。条件や定義を決めたら、客観性を増して答えられる問いです。哲学カフェには適正人数があるか?という問いは近い気もします。
    このカクテルグラスの中の水は適正か?という問いは、「人それぞれ」という主観的な正解のない問いなのか、薬を飲むためには必要をみたしているか、静物画を鑑賞していて絵の中のグラスの中の水が気になった美的判断なのか、南北問題の富の偏在をグラスの中の水で示し倫理的、政治的判断を求めるよく知られたものか、状況や文脈がなければ、答えは定まりません。
    哲学カフェには適正人数があるかと問われるより、昨日の名古屋の哲学カフェと特定し、かくかくしかじかの目的や趣旨に照らして適正かと問われると答えられる気がします。それでも主観的な評価、人による違いはある問いかと思います。

  • #14

    たつみ (金曜日, 18 9月 2015 19:25)

    哲学カフェの会合の時間の長さにも、テーマにも適正さを考えることが可能であり、その意味があるのではないか。

  • #15

    哲-METAL (金曜日, 18 9月 2015 22:03)

    哲学カフェには、①哲学すること②対話すること、の2要素があるとします。他にもあるでしょうが、同水準に二つに大別します。

    ②の対話に比重が大きい場合、我と汝一人称と二人称の深い人格的な精神的な交流、互いを目的として手段にしない関係が満足度が高いため少人数であるほど良く、1対1の2人が最も良いかもしれません。人数が多くなると匿名性が増えたり三人称的な外見で相手を評価した関係になります。初参加者も含め毎回メンバー構成が変わる哲学カフェではある程度は限界があるかもしれません。

    ①の比重が大きい場合、主役は問いになったテーマを根本的に根源的に主体的に考え応えることが大切なため、人数は多い少ないは二次的な問題かと思います。誰が考えた、言ったとか関係なく、真理を共同して追求する時間と空間があれば何人でもよい。

    哲学カフェに適正人数はあるかの問いには、①ならばありそうだ、②ならば、あまり無さそうだとなるのではないだろうか?

  • #16

    鞠水 (土曜日, 19 9月 2015 22:27)

    参加者の人たちの意見を聞きながら
    自分なりに最適な人数を考えてみると
    4人がけのテーブル2卓相当の8人以下では
    自分の発言が場にいる誰かに向かってしまい
    今のゆるい(無責任な)発言ができなくなる
    テーブル5卓相当の20人は多すぎる
    テーブル4卓相当の16人前後が妥当かと感じました
    ただし、8人の場合でも間が離れている場合のことは
    うまくイメージができなかったので除外
    また今回は中央に陣取ったため
    目線に入らない背後に6人の参加者がいる形となり
    発言を聞くにも有利なポジションであったため
    端にいて声が聞き取りにくく目線に15人がある場合には
    印象が変わった可能性があります

    参加者の方の
    4~5人の少ない人数では発言は活発になるが
    目の前の誰かに向けた発言になってしまう
    (というような発言だったと感じました)
    @名古屋のゆるい空気感の?中で発言できる良さは
    少人数ではなくなるのだろうか?

    自分独りでは発想が広がらないことを
    他の参加者の頭を借りながら考えられることは
    新しい視点がいくつも現れることとなり
    とても痛快な時間がすごせる
    私にとっての哲学カフェはそんな体験のできる
    貴重な場所なのかと再確認ができた会となりました。